2012年2月28日火曜日

コロニアル沖縄 1


ボリビア コロニアル沖縄  ~日ボ学校

これは 写真展でコロニアル沖縄を紹介した時に書いた文章です。
これで大体のことが伝わるかなと、思います。 写真はクリックすると大きくなります。
あくまで私の感想ですか、こんなところでした。

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コロニアル・オキナワ  ( ボリビア)



「第二次世界大戦後、荒廃した沖縄からの移住者たちが開拓したコロニアルです。
「移住したら賃金が3倍もらえる」と夢をもって移動したけれど、風土病の発生や土地問題などで移転を重ねた末、オキナワ第1~第3の移住地に分かれて発展しました。
ここは、<ボリビア共和国内の模範的な農村>として讃えられていることから、ボリビア各地 から仕事を求めて移り住む人が増え、1998年に、コロニア・オキナワを正式な行政区に制定。行政区としてオキナワの名が冠されてい るのは 世界中で沖縄県とコロニア・オキナワだけ。これは移住者とその子弟にとって誇り、だそうです。」

~2007年 5月31日~
近くの町からタクシーで向かうと、地区の入り口には日本語で「ようこそ コロニアルオキナワへ!」の看板が。町の真ん中には大きな神社の鳥居。「オキナワ診療所」と書かれた白い建物。穏やかな空気。「ここ・・・ボリビアだよね?」 いつかの夢で見たような不思議な空間。 





クリックすると写真が大きくなるよ


のどかで静かな町をぶらぶら歩いていると 「いっちに、いっちに!」どこからか日本のラジオ体操の音楽が。。。思わず体をラジオに合わせながら動かしつつ音楽の源を探すと、そこは小学校。大きなグラウンドに 体操帽をかぶった子供達が体一杯動かしてました。


オキナワ第一日ボ学校



門の外で中を伺っていると、通りがかった子供が「こんにちは!!」。
いきなりの日本語にびっくりの私。 
すると他の子もやってきて「中、見ていきませんか?先生にきいてみます!!」嬉しそうに奥に走っていってしまった。あらら~
笑顔の子供につれられて出てきた女性の先生は、教頭先生。この学校はスペイン語と日本語の教頭先生が一人ずついるそうです。授業も午前中がスペイン語、午後が日本語なのです。











みんなすごいいい子たち








結局、運動会が近いということで 運動会の練習を見させてもらいました。
どの子も「こんにちはっ! どこから来たの??」と興味津々。
どの子もみんな日本語ぺらぺらで スペイン語の通訳までしてくれます。

グラウンドのうんていで 私にかっこいいところを見せようと張り切ったけど 降りれなくなって泣き始める子。 質問攻めの子。「こっち見てこっち 私こんなことできるよ!!」と逆上がりを見せてくれる子。
「前は日本に住んでいたんだよ。懐かしいなぁ。。。」と遠くを見つめる女の子。
「運動会も見に来てくれる??」と目をくりくりさせる女の子。








みんな笑顔でとっても素直。流れる空気が優しく体を包み込んで心地良い。
昔の日本に逆戻りしたようなまっすぐな子供達に 涙が出そうになりました。 




病気や災害があったなんて微塵も感じさせない あったかいコロニアル・オキナワ。
日本よりも日本らしい子供達に 病み上がりだった体も心もすっかり元気になりました。

自分に子供ができたらこの学校に通わせたい。 と 本気で思いました。

かわいい教室 


みんなが今日も元気に笑っていますように。 遊んでくれてありがとう。





2 件のコメント:

  1. 「コロニアル・オキナワ」先程、世界ふれあい街歩き(NHK)を見て感銘を受け、早速NET検索してみたところ、モントリさんの当該ブログに辿り着きました(モントリさんも、見ましたか?)。特にその授業風景に見入ってしまったのですが、その同じ教室の写真がアップされているのを目にして、思わず叫びそうになってしまいました。多くの思いが感じ取れる何とも味わい深い教室ですよね。今後のご活躍を期待しております。

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  2. メッセージありがとうございます!
    そのような番組があったとは見逃しました
    ボリビアはあまり治安がよくないのでいつも周りを気にしてましたが、こちらの学校で過ごした時間は、柔らかく温かで、とても幸せな時間で、ほっとした思い出があります。みんな目がキラキラで… 生徒さんたちは今ごろどうしているのかな?
    わざわざメッセージを残していただき感謝です! sakiさんも実り多い毎日をお過ごしください!

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